私たちの青春、台湾

台湾ひまわり運動のリーダー人気ブロガーの中国人留学生そしてドキュメンタリー映画の監督の私が台湾、香港、中国でみつけた“私たち”の未来への記録

OUR YOUTH IN TAIWAN

監督:傅楡(フー・ユー)出演:陳為廷(チェン・ウェイティン)、蔡博芸(ツァイ・ボーイー)
金馬奨最優秀ドキュメンタリー映画賞2018 台北映画祭最優秀ドキュメンタリー映画賞2018

台湾ひまわり運動のリーダー人気ブロガーの中国人留学生そしてドキュメンタリー映画の監督の私が台湾、香港、中国でみつけた“私たち”の未来への記録

きみの笑顔の先に、未来を見た
人物
1031日(土)よりポレポレ東中野他全国順次公開

傅楡監督の人生と台湾の民主化の歩みを書いた

わたしの青春台湾」(五月書房新社)邦訳版が、
映画公開に合わせ10月23日発売決定!

「わたしの青春、台湾」

傅楡監督の人生と台湾の民主化の歩みを書いた

わたしの
青春台湾」
(五月書房新社)邦訳版が、
映画公開に合わせ
10月23日発売決定!

「わたしの青春、台湾」

予告編

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 アジア初の同性婚法制化、蔡英文総統の歴史的再選、女性議員がアジアトップ水準の4割を占め、世界も注目した新型コロナ対策などで関心を集める台湾。金馬奨授賞式でフー・ユー監督が涙を流しながら、「いつか台湾が“真の独立した存在”として認められることが、台湾人として最大の願いだ」とスピーチをしたことは大きなニュースとなった。
 ひまわり運動は、23日間の及ぶ立法院占拠、統率の取れた組織力、全世界に向けたメディア戦略、まれにみる“成功”をおさめたといわれている。しかし立法院内では、一部の指導者たちによる決議に対する不満など、理想の“民主主義”の困難さに直面し、多くの課題を残していた。雨傘運動前の黄之ジョシュア・ウォンアグネス・チョウとの交流など、カメラは台湾、香港、中国の直面する問題、海を越えた相互理解の困難さ、民主主義の持つ一種の残酷さを映し出していく。
 台湾という息吹の中で、ともに未来を描き、迷い、空っぽになり、
ともに理想求めもがく、“私たち”の青春の物語は、
何を問いかけてくるのか——

STORY

 2011年、魅力的な二人の大学生と出会った。
 台湾学生運動の中心人物・チェン・為廷ウェイティン、台湾の社会運動に参加する人気ブロガーの中国人留学生・ツァイ・博芸ボーイー。やがて為廷はリン・飛帆フェイファンと共に立法院に突入し、ひまわり運動のリーダーになった。“民主”が台湾でどのように行われているのか伝えたいと博芸が書いたブログは、書籍化され大陸でも刊行される人気ぶりだ。
 彼らが最前線に突き進むのを見ながら、「社会運動が世界を変えるかもしれない」という期待が、私の胸いっぱいに広がっていた。
 しかし彼らの運命はひまわり運動後、失速していく。
 ひまわり運動を経て、立法院補欠選挙に出馬した為廷は過去のスキャンダルで撤退を表明。大学自治会選に出馬した博芸は、国籍を理由に不当な扱いを受け、正当な選挙すら出来ずに敗北する。
 それは監督の私が求めていた未来ではなかったが、その失意は私自身が自己と向き合うきっかけとなっていく——

ひまわり運動とは

2014年3月17日、国民党がサービス貿易協定をわずか30秒で強行採決した。翌18日、これに反対した学生たちが立法院(国会)に突入し、23日間にわたって占拠した。占拠直後から多くの台湾世論の支持を集め、与党側は審議のやり直しと、中台交渉を外部から監督する条例を制定する要求を受け入れた。議 場に飾られたひまわりの花がシンボルとなり、この一連の抗議活動を「ひまわり運動」と呼ぶ。ひまわり運動は一定の成果を残し、同年11月の統一地方選挙での国民党大敗を導き、台湾政治の地殻変動を引き起こした。翌年にはひまわり運動を起こした若者らが中心となり、政党・時代力量が設立された。ひまわり運動は、近年の台湾アイデンティティの興隆を象徴する出来事となったのである。

CAST

陳為廷

チェン・ウェイティン

1990年12月11日生まれ。台湾の苗栗県出身。陳為廷が生まれる3か月前に父を亡くし、13歳の時に母を癌で亡くした。
中国政府の脅威に直面したことで、台湾の主権を守りたいと考えるようになり、仲間と共に反政府運動を繰り返し行ったことで、期せずして学生運動のスターとなった。2014年、ひまわり運動では林飛帆と共にリーダーを務めた。2015年2月に行われる立法院の補欠選挙に台湾中北部・苗栗県選挙区からの立候補を表明するも、過去の猥褻事件が明るみになり出馬を辞退した。兵役を終え、現在はひまわり運動後にできた「時代力量」という政党のキャンペーンマネージャーを務めている。2018年11月の選挙の際には、新竹市議会議員林延府の補佐を務めた。2020年秋、アメリカ留学を検討中。

蔡博芸

ツァイ・ボーイー

1992年6月12日生まれ。中国の湖州出身。高校生の時に自由や民主主義といった漠然としたイメージが頭の中に芽生え、政治に興味を持つようになる。
2011年、台湾の大学が大陸の学生に開放され、留学生第一期生として淡江大学に留学する。台湾に来て、世の中を席巻する社会運動がいわゆる民主主義の体現であり、その主役は自分と同世代の若者であるということに気づく。結果として、そのことが彼女の情熱を呼び起こすきっかけとなり、長期に渡って運動に参加することとなる。ブログ「我在台湾・我正青春」(台湾で過ごす青春)は話題となり、のちに書籍化された。執筆活動を通じて台湾の民主化の発展を同胞に伝えている。

STAFF

監督傅楡

フー・ユー

1982年9月20日、台北生まれ。父はマレーシア華僑、母はインドネシア華僑。
2008年、国立台南芸術大学音像記録研究所を卒業し、現在はドキュメンタリー映画制作に携わる。主に若者の台湾政治や経済に対する理想や態度といったものを扱う。『我在台湾、我正青春』(ショート版)で台湾新北市ドキュメンタリー映画賞一等賞、『藍緑対話実験室』で中国FIRST青年電影展最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞。短編ドキュメンタリー映画『完美墜地』で2016年香港華語ドキュメンタリー映画祭短編部門グランプリを受賞。本作『私たちの青春、台湾』は、2018年金馬奨と台北映画祭にて最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞した。

COMMENT

三・一八ひまわり運動は、一九八〇年代以降の台湾における最大規模の学生・市民による抗議運動で、台湾における行政をも巻きこむ社会活動の展開に、現在に至るまで深く影響を及ぼしている。運動の主力として、多くの若者が痛みや熱い思いを体験し、改めて人生の進むべき道を決めていった。 『私たちの青春、台湾』は、運動の過程での喪失や奮闘を真摯に記録しており、民主的な社会にとって最も意義のある教訓になっていると言っていい。それは、単に未来を夢見るだけではなく、困難と向き合い勇気を持って挑戦してはじめて、本当に自分の進むべき道に出ることができ、私たち自身を通して未来を呼びこむことができる、ということなのだ。

オードリー・タン(台湾デジタル担当大臣)

突き進む者と、それを記録する者。その裏側にある個人的な憂鬱と後悔。
それでもなにかを正したいと願う若者たちの想いは、こんなにも純真でまぶしい。

東山 彰良(作家)

まちがいだらけで、もろくて、おそろしく魅力的な若者たちが集まって、社会をゆさぶる。そのようすを記録に撮ろうと張り切る若い監督の期待はある時点でみごと裏切られるが、映画を観た人の心には、「過ぎ去った青春」という言葉で括ってしまえない強い残響が残り続けるだろう。

多和田 葉子(作家)

女性大統領、同性婚、優れたコロナ対策――近年の「進歩的な台湾」の礎を成した2014年のひまわり学生運動は、決して突然起こった出来事ではない。無数の小さな流れがやがて歴史を変える奔流となっていくそのさまを見つめては何度も涙ぐみ、同時に民主主義の、何かを変えることの、そして人間の難しさに、思わず溜息を漏らさずにいられない。

李 琴峰(作家・翻訳家)

かつての日本の学生運動を彷彿とさせる本作は、タイトルの如く「青春」を捉えたドキュメンタリーだと思っていた。しかし、気付けば私は予測とは違う出口に立っていた。この映画が“このような終わり方”が出来たことが、社会の視点が逆転しつつある象徴であり、希望だと感じる。

安藤 桃子(映画監督)

正直にいうと
簡単にコメントを書くこともできた。
けれども
あまりに私のアイデンティティを揺さぶるこの映画の
正体が掴めなくて困った。

私は台湾と日本の混血である。
では中華民国のことをどれだけ知っていて
台湾の歴史をどれだけ学び
日本の政治にどれほど関心をもって
今の仕事をしているか、と聞かれると
大勢に影響が出ないように
穏便に振る舞っている自分がいる。
一方、情熱を持って社会活動を続けているこの映画の監督や
またもっと若い世代の子たちのNEWSを斜め読みしている現実がある。

特定の宗教や政治活動、社会運動に関して
定まった意見をつまびらかにしたことがない。
それは本当にいいことなのだろうか。

観終わったとき
ふと、なまぬるい自分はこのままでいいのかと反省した。

そして言葉を並べる前に
監督の本をきちんと読んでから書こうと決めた。

一人の女性が対話を願っている。
それは平和的な未来を語るものである。

感想というよりも
意思表明のようになってしまったが
私なりに反省を繰り返しながら
誠意をもって一社会人として生きていきたいと
目を覚まさせてくれた映画である。

自分で限界を線引きしてしまったり
コミュニケーションをとろうとしたときに
壁にぶつかり、最も身近な人とさえ理解し合えない時でも
苦境に立たされたからといって
簡単に自分を放棄してしまわないように
足を踏みとどまって対話を持ち続けられる自分でいたい。

青春時代に持っていた熱が
失われたと気づいた時に
恐らく、人は大人になるのだろう
その失われる瞬間に対して
真摯に向き合う監督の姿は胸を打たれる。
物事を創造する過程で
逃してはならないものを
丁寧に掬う作業と
最終的にきちんと満足できる仕上がりにするために
思考を繰り返し、自己反芻する姿は
クリエイターとして非常に共感する。

何かを否定する人たちの“イデオロギーの背後には
一連の人生があることを理解している”(p241)という言葉が
彼女の聡明さと優しさを表明していると思った。

何よりもその手前で
ひとりの人間として
どう意思をもち、向き合った人たちと対話をするか
その試行錯誤している監督そのものの姿勢が素晴らしく感動するのである。

世界中を一人旅していて、ふと
パスポートがスタンプラリー帳のように思えた瞬間がある。
国というラインはだれかが勝手に決めたもので
その境を往来するだけで言葉が変わり食べ物が変わる不思議。
でも、目の色や肌の色が違うだけで
どこにいたって同じ人間なんだと思えた。
そこに住む人々の優しさも怖さもそれぞれにあり
魅力的なところも見えれば、ガッカリすることも勿論あった。
とにかく地球はただの一つの丸い球体で
なんとか美しいバランスを保とうと
動物も植物もみんな生きている。

私は、台湾で育ったり、日本で育った。
英語も中国語もどっちつかずで時々投げ出したくなる。
でも、知らない世界をもっと知りたくて頭よりもまず行動に出てしまうのだ。
世界共通語があればどんなにいいだろうと思う。
そしてきっと歌がやはりそれにいちばん近いもので
すべての人々の心を一つに繋げるのだと実感している。

私もわたしなりに声をだしてゆきたい。

一青窈(歌手)
私たちの青春、台湾